――NHK映画『人生をしまう時間(とき)』を観て
こんにちは、まりーです。
ケアマネジャーとして働きながら、家では認知症の母「オハナさん」を在宅で介護しています。
先日、NHKのドキュメンタリーを映画化した
人生をしまう時間(とき)
を観ました。
ケアマネとして20年。
これまで数えきれないほどの「最期」に立ち会ってきましたが、
この映画は、私自身の原点を静かに見つめ直させてくれる作品でした。
今日は、その中で特に心に残った場面と、
そこから感じた「家族の笑顔を守る介護のさじ加減」について書いてみたいと思います。
人生って、一言では言えないけれど、いいな
映画を観終えたあと、
そんな言葉が、自然とこぼれました。
プロとしても、家族としても。
この映画が映し出す光景は、
深くて、やさしくて、そして少し切ない。
「人生」という言葉では、とても語りきれない時間が、
そこには流れていました。
「便利さ」よりも大切にされた、親子の距離
特に忘れられないのは、
盲目の娘さんが、お父さんを自宅で看取る場面です。
在宅介護の現場では、
まず「電動ベッドを入れましょうか」と考えるのが一般的です。
安全で、介助もしやすい。
けれど、そのお宅でお父さんが休んでいたのは、
電動ベッドではなく、「お布団」でした。
お布団での介護は、正直に言って大変です。
腰への負担も大きく、決して楽ではありません。
それでも、お布団だったからこそできたことがありました。
娘さんは、お父さんのすぐ横で一緒に横になることができる。
見えなくても、寝息や体のぬくもりを感じ、
小さな変化に気づくことができる。
「便利さ」よりも、
「寄り添える距離」を選んだ環境。
人生をしまう時間に、
こんなにもやさしい選択があるのだと、胸がいっぱいになりました。
「正しい支援」が奪ってしまったかもしれない時間
もうひとつ、心に残っているのは、
老老介護をしていた、あるご夫婦の話です。
若いころ、ご主人は仕事で家を空けることが多く、
夫婦で一緒に過ごす時間は、あまり多くなかったそうです。
奥さんが介護状態になり、
ご主人は腰痛を抱えながらも、懸命に介護を続けていました。
紐を使って移乗をしたり、
食事や身の回りのことも、すべてご主人が行っていました。
プロの目で見れば、
「もっとサービスを使った方がいい」と思う場面です。
けれど、そこには、
あふれるような笑顔がありました。
本当に、幸せそうな二人の時間でした。
やがて、介護サービスが整い、
ベッドが入り、ヘルパーが入るようになります。
ご主人の腰の負担は、確かに軽くなりました。
でも――
あのときの、二人の素晴らしい笑顔は、そこにはありませんでした。
「ラブラブな時間を、
私たちが奪ってしまったのではないか?」
ケアマネとして良かれと思って行った支援が、
二人にとって何より大切だった時間の形を、
変えてしまったのかもしれない。
その苦い気づきは、
今も私の心に残っています。
介護は「作業」じゃない
介護は、単なる作業ではありません。
誰かが、誰かを想うこと。
人生の最後の時間を、
どう生き、どう共に過ごすか。
効率や安全、介護保険のルール。
どれも大切です。
でも、それ以上に大切なのは、
「その人が、その人らしく、
大切な人と、どんな表情で過ごしたいか」。
正解は、一つではありません。
ケアマネとして、娘として
今の私のモットーは、
**「介護も、人生も、あきらめない。みんなで、えみふる(笑顔)」**です。
便利じゃなくてもいい。
セオリー通りじゃなくてもいい。
その人が
「いい人生だった」と思いながら、
大切な人と静かに時間を過ごせるように。
私も、ケアマネとして。
そして、娘として。
目の前の「その人らしい笑顔」を、
置き去りにしない支え方を、
これからも大切にしていきたいと思います。

じんせい いろいろ。
かいごも いろいろ。
べんりなのが いちばんだけど、
ふたりで「えみふる」になれるなら、
ちょっとくらい ふべんでも いいじゃない。
るーるより、はーと。
まずは ひとやすみ。


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