玄関にお位牌があった日、私は「なにしてるの!」と叫んだ

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玄関に、お位牌が置いてあった。

一瞬、何が起きているのか分からなかった。

そして次の瞬間、私は叫んでいた。

「なにしてるの!そんなことしないで!」

ケアマネとして、私は知っている。
認知症の方の言動は否定しないこと。
受け止めること。
その人の世界に寄り添うこと。

――教科書には、そう書いてある。

でも。

現実は、そんなに簡単じゃない。


オハナさんが守ろうとしていたもの

私の兄は、5歳で亡くなった。

母――オハナさんは、認知症になる前から、命日が近づくとお仏壇の前でよく泣いていた。
何十年経っても、その悲しみは消えていなかった。

そして今。

母は兄の遺影を持ち歩く。
時には、自分の布団に入れて一緒に眠る。

そしてあの日、玄関にお位牌を置いていた。

「自分が逝くときに、持っていけなかったら困るから」

そう、真顔で言った。

その時の母の顔は、ふざけても混乱してもいなかった。
とても真剣で、どこか必死だった。

私はその必死さに気づく前に、
“正しい場所”に戻そうとしてしまった。


その行動、別のレンズで見てみると?

玄関にお位牌がある
→ 「もしもの時に、一番に守って逃げたい宝物」

遺影を布団に入れる
→ 「寂しくないように、ずっと一緒にいたい愛情」

それは「おかしな行動」ではなく、
“必死に守ろうとしている姿”なのかもしれない。

認知症になると、時間の感覚が揺らぐ。
でも、愛の記憶は消えない。

むしろ、むき出しのまま表に出てくる。


否定したくなったときの心の整え方

いきなり「否定しない」は難しい。

だから私は、こんなふうに考えるようにしている。

① まずは自分を許す
「なにしてるの!」と言ってしまった自分を責めすぎない。
びっくりしたのだから、仕方ない。

② 「なぜ?」を3秒だけ考える
この行動で、母は何を守ろうとしているのだろう。

③ その人の世界に少しだけ乗っかる
正解を教えるのではなく、
「大事に持ってたんだね」と気持ちだけを受け止める。

完璧にできなくてもいい。
一瞬でも立ち止まれたら、それで十分。


否定しないことは、「愛」を認めること

認知症になっても、
母の“母としての愛”は消えていない。

兄を想う気持ちは、
時間も病気も越えて、そこにある。

否定しないということは、
その尊い感情をなかったことにしない、ということ。

私はケアマネだけれど、
娘でもある。

正解どおりにできない夜もある。

それでも。

あの日の母の真剣な顔を思い出すたびに、
これは愛なんだ、と自分に言い聞かせている。

私が何度も読み返した一冊

正直、私は完璧にはできません。
そんなとき、何度も読み返している本があります。

認知症の行動の背景や、家族の心の整え方をやさしく解説してくれる一冊です。

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