「最期をどう迎えるか ― 100人いれば100通りの看取り」シリーズ

「最期は家で過ごしたい」
ケアマネジャーをしていると、本人からそんな言葉を聞くことがあります。
そして私が20年この仕事をしてきて感じるのは、本人だけではなく、家族も
「できることなら、家で看取ってあげたい」
と思っていることが少なくないということです。
本人も家族も、思いは同じ。
それなら家で看取ればいい。
……そんなに簡単な話ではありません。
この記事は、在宅での看取りをすすめるものでも、やめたほうがいいと伝えるものでもありません。ご本人の状態や医療の判断は個別に異なります。実際の選択は、必ず主治医や担当のケアマネジャーとご相談ください。
家で看取ることに、怖さを感じる家族もいます
家族から聞く不安の中に、こういうものがあります。
「最期、苦しんだらどうしたらいいんですか」
「息が止まるところを見るのが怖い」
「そのとき、自分がちゃんとできるのか分からない」
私は、この「怖い」という気持ちは、とても大切だと思っています。
なぜなら、多くの人にとって、家で人を看取ることは初めてだからです。
経験したことがない。だから怖い。
これは本人も同じです。
「家で死にたい」と思っていても、死ぬことが怖くないわけではありません。
昔は「家で亡くなる」が珍しいことではなかった
数字を見ると、はっきりしています。
1951年には、亡くなった方の82.5%が自宅で亡くなっていました。

その後、自宅で亡くなる割合は減り、医療機関で亡くなる割合が増えていきます。2000年には、自宅13.9%、病院・診療所81.0%となりました。
つまり今の私たちの多くは、家で人が亡くなるところを見た経験がありません。
親の最期を迎えるときになって、初めて経験する。
怖くて当然だと思うんです。
「家で看取る」と決めても、気持ちは変わります
私はこれまで、最初は家で看取ることを希望していたご家族が、途中で選択を変える場面も見てきました。
本人の状態が変わり、怖くなって救急車を呼んだ家族。
最初は積極的な治療を望んでいなかったけれど、目の前の本人を見て、途中から治療を希望した家族。
そして、介護を続けていた家族自身がストレスや疲労で倒れ、在宅介護そのものを続けられなくなったこと。
私は、どれも「失敗」だとは思いません。
そのときにならなければ分からないことがあります。
救急車を呼んだから、約束を破ったわけではない
「家で看取るって決めたのに、怖くなって救急車を呼んでしまった」
そんなふうに、自分を責める必要はないと私は思っています。
目の前で大切な人の状態が変わったら、怖くなる。「助けてほしい」と思う。
それは、とても自然なことです。
ただ、家で看取ることを考えるなら、状態が変わったときに誰へ連絡するのか、救急車を呼ぶ場合にはその後どのような対応になる可能性があるのかを、元気なうちから主治医や訪問看護師と話しておくことは大切です。
これは別の記事で、詳しく書こうと思います。
誰にでも、いつか最期は訪れます
ここで、少し前の話をさせてください。
誰にでも、いつか最期は訪れます。

それなのに、元気なうちにその話をするのは、なんとなく避けられがちです。縁起でもない、まだ早い、そんな話はしたくない。
でも私は、平常時に家族で話しておくほうがいいと思っています。
状態が悪くなってからでは、本人が自分の考えを伝えられなくなっていることがあります。そうなると、家族が推測で決めるしかありません。
「人生会議」という言葉があります
もしものときにどのような医療やケアを望むのか、前もって考えて、家族や信頼できる人、医療・介護の担当者と話し合っておくこと。これをアドバンス・ケア・プランニング(ACP)といいます。
厚生労働省は、この愛称を「人生会議」としています。
大事なのは、一度決めて終わりではないということです。
気持ちは変わっていい。
だから、何度でも話し合っていい。
元気なころに聞いた希望が、そのまま最期まで変わらないとは限りません。
本人の気持ちも、体の状態も、家族の状況も変わります。そのたびに、また話せばいい。
私自身、ケアマネジャーとして「元気なうちに話しておいてよかった」と感じた経験があります。
好きなことや大切にしていることを、元気なうちに書き残しておく。そんな人生会議の始め方については、こちらの記事で書いています。
家で看取ることは、「最後までやり抜くこと」ではない
私は、ここを一番伝えたいです。
「家で看取ろう」と決めたからといって、その選択に最後まで縛られる必要はありません。
本人の状態は変わります。
家族の気持ちも変わります。
介護する家族の体調や生活も変わります。
そのたびに、
「今も、このままで大丈夫かな」
と考え直していい。
病院に行くことになってもいい。
施設という選択肢を考えてもいい。
治療についてもう一度相談してもいい。
そして、家で過ごし続けることを選んでもいい。
病院で、施設で。それも一つの選択です
ここまで家で看取る話をしてきましたが、誤解のないように書いておきます。
病院で亡くなることも、施設で亡くなることも、ひとつの選択です。
家がいちばん良くて、病院や施設は仕方なく選ぶもの。そういうことではありません。
自宅、病院、施設。
それぞれ、受けられる医療やケア、家族の関わり方、過ごし方は違います。
どこが一番いいかは、その人の状態や希望、家族の状況によって変わります。
「家か病院か」という二択だけで考える必要はありません。
100人いれば、100通りの看取りがある
「家で死にたい」という本人の希望は、大切にしたい。
「家で看取ってあげたい」という家族の思いも、大切にしたい。
でも、それを「絶対に家で看取らなければならない」という約束にしないでほしいと思っています。
正解はありません。
家で看取れたから成功でもない。
途中で病院へ行ったから失敗でもない。
その時々で、本人と家族ができることを考えて、必要なら選び直す。
100人いれば、100通りの看取りがあります。
20年ケアマネジャーとしていろいろなご家族を見てきて、私はそう思っています。
「家で看取るのが親孝行」とも、「家で看るなんて無理をしている」とも、周りは言うかもしれません。
でも、その家で暮らしている本人と家族にしか分からないことがあります。
本人がどう過ごしたいのか。
家族はどこまでなら続けられるのか。
そこに主治医や訪問看護師、ケアマネジャーなどの専門職も加わって、一緒に考えていけばいい。
そして、その気持ちや状況が途中で変わったなら、そのときにまた考え直せばいい。
それでいいと、私は思っています。
では、実際に家で看取るには何が必要なのか。次の記事で書きます。
【参考】
・自宅・医療機関での死亡割合:厚生労働省「人口動態調査」
・人生会議(ACP):厚生労働省「人生会議」ポータルサイト







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