
ある日から、私の生活は二重勤務になった。
🏥 昼:35人を担当するケアマネジャー
🍳 夜:オハナさん専属のケアマネジャー(無報酬)
仕事では、
「無理は禁物ですよ」
「介護負担を減らしましょう」
なんて家族に話している。
でも家に帰れば、その「介護負担」そのものが私だった。
親の介護が始まると、多くの人がまず直面するのが「毎日の食事作り」です。
私も認知症の母・オハナさんの食事を作るようになってから、気づけば生活の中心が介護になっていました。
きっかけは、オハナさんの食事作りが必要になったこと。
それは大げさなものじゃなく、ほんとうにじわじわと始まった。
ケアマネあるある 3連発
介護のプロとして20年やっていても、自分の家族の介護となると話は別。
同業者のみなさん、こんな経験ありませんか?
① 「無理しないで」と言いながら、自分が一番ガッツリ無理してる。
ご家族に偉そうにアドバイスしておきながら、帰宅した瞬間に「今日の夕飯どうしよう」で頭がいっぱい。自分のことは完全に後回し。
② 「栄養バランスが大事ですよ」と指導するくせに、自分は「何か食べればOK」精神。
栄養士の資格まで持っている私が言うのもアレですけど、自分のご飯なんて納豆ご飯で十分だと思っている。オハナさんの食事には気を遣うのに、この落差よ。
③ サービス計画書はスラスラ書けるのに、夕食の献立は1ミリも浮かばない。
35人分のケアプランは頭に入ってるのに、たった1人分の夕食メニューが出てこない。脳のメモリ、完全に仕事で使い果たしてるんだと思う。
オハナさんの好き嫌いが、なかなかの強敵
介護の食事作りがしんどい理由は、時間だけじゃない。
オハナさんには、もともとの好き嫌いがある。
❌ お肉(一緒に煮込んだものも、取り除いてもダメ)
❌ 川魚
❌ ニンジン
❌ 脂ののったお魚
❌ 塩辛いもの(年を取ってから味覚が変わった)
……これ、何を作れというんですか(笑)
お肉はダメ、煮込んでもダメ、川魚もダメ、脂もダメ、塩辛いのもダメ。
必然的にレパートリーが激減して、同じメニューがぐるぐる回ることになる。
「また同じのか」とは言わないオハナさん。
でも私の心の中では「また同じのか…」という声が静かにこだまする。
認知症が進むと味覚や食の好みが変わることもあるし、飲み込む力も少しずつ弱くなる。
「食べてくれるもの」と「食べられるもの」の両方を考えながら献立を組むのは、想像以上に頭を使う作業なんです。
1日中ご飯を作っている感覚
時間を拘束されることが、じわじわと体に効いてくる。
🌅 朝:起きてすぐ朝ごはんの準備
🏃 仕事前:オハナさんのお昼ごはんの準備
🌙 帰宅後:19時には寝たいオハナさんの夕食を急いで作る
私の場合、介護食を作ると普通の食事より30分ほど余計に時間がかかることもあった。
柔らかく煮込む時間、食べやすい大きさに切る手間、味付けの調整。
3食分を足し算したら、1日2〜3時間以上が食事作りに消えていく計算になる。
……そりゃ疲れるわ。私だけじゃなかった。
仕事終わりにスーパーへ寄り、ヘロヘロの体で鍋をかき混ぜていると、脳内で勝手に「職業病」が発動する。
「オハナさんの予測されるADLは…」
「IADLはどこまで維持可能なのか…」
……ハッ!
これ、完全に「家族版ケアプラン」を24時間フル稼働で作ってるじゃん!
📋 【買い物】週3回 担当:私
🍳 【調理】ちょっと適当 担当:私
😋 【実食】担当:オハナさん
完璧なPDCAサイクルの完成です(笑)。
レトルトに救われた日のこと
あるとき、試しにレトルト食品を使ってみた。
正直、最初は罪悪感があった。
「ちゃんと作ってあげなきゃ」という気持ちが、どこかにずっとあったから。
でも、使ってみたら20分の自由時間が生まれた。
たった20分。
されど20分。
介護をしながら働く私にとって、その20分は本当に貴重だった。
ソファに座ってぼーっとする20分。
スマホで好きな動画を観る20分。
何もしなくていい20分。
時間はお金じゃ買えない。ありがとう、レトルト。
そして気づいたことがある。
バタバタで作ったご飯でも、レトルトを温めただけのご飯でも、
オハナさんが「悪いねぇ〜」と嬉しそうに食べてくれる顔は、同じだった。
手を抜いた私を責めるのは、オハナさんじゃなくて、私自身だった。
最近は、宅配の食事サービスも気になっている。
少しお値段は張るけれど、「1日中ご飯を作っている感覚」から解放される時間を買えるなら、それは決して高くないのかもしれない。
本当は、ご飯を作ることが嫌だったわけじゃない。
「今日もまたご飯を作らなきゃ」と思う自由のなさが、少しずつ苦しかったんだと思う。
介護というと、認知症の診断や介護認定を受けた日を思い浮かべる人が多いかもしれない。
でも私の場合、それはもっと前から始まっていた。
介護が始まった日は、分からない
気づけば、私はケアマネとして働きながら、家ではオハナさんのケアマネになっていた。
食事を考え、買い物をして、体調を観察して、次の一手を考える。
これってもう、立派な介護なんだと思う。
「介護が始まった日」は分からない。
はっきりした境界線なんてなかった。
でも今振り返ると、オハナさんのご飯を作り始めたあの日から、私の介護は静かに始まっていたのかもしれない。
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