今日、母(オハナさん)を歯医者さんに連れて行きました。
「今日は歯医者さんに行くよ」
母にそう声をかけて、私は自分の支度をしていました。
出かける前、母の口元がなんだかしぼんでいることに気づきました。
「入れ歯どうしたの」
そう聞くと、母はポケットから、ティッシュにくるんだ入れ歯を出してきました。
その瞬間、私は玄関先で思いっきり怒りました。
実はその少し前、私が自分の支度をしている間に、母は先に玄関の外に出ていました。杖1本で、誰かの支えがないと歩けないのに、です。ポケットには、ティッシュにくるんだ入れ歯を忍ばせて。

オハナさんの頭の中
あとから落ち着いて考えると、母の行動は、最初から最後まで筋が通っていました。
母の頭の中の流れ
- 「歯医者さんに行くよ」と言われる
- 歯医者といえば入れ歯
- 入れ歯を持っていかなきゃ
- 自分で外す
- 大事なものだから、ティッシュに包む
- ポケットへ
さらに、
- 「歯医者さんに行くよ」と言われる
- 出かけるんだ
- 玄関まで行って、私を待つ
母は入れ歯をなくそうとしたわけでも、私を困らせようとしたわけでもありません。自分なりに「出かける準備」をしていただけでした。
母の中では、ちゃんと意味があったのです。

そのとき私の頭の中にあったこと
でも、あのとき私の頭の中でも、別の筋道が一瞬で走っていました。
入れ歯をなくしたことは、実は過去に2回あります。
入れ歯ができあがるまでに、3週間かかりました。3週間と聞けば、短く感じるかもしれません。でも、毎日3食食べる母にとって、入れ歯のない3週間は長いものでした。
ごはんを食べればむせる。うまく噛めないから、量も食べられない。母の好きなエビフライを出しても、食べられない。

丸のみのような状態になって、「胸につかえて痛い」と言われました。食事のせいなのか、ほかに原因があるのか、私にも分からず、内科まで受診しました。
そして、その間にも、新しい入れ歯を作るための歯医者通いが続きます。毎週のように、仕事の予定を調整して、休みを取って、母を連れて行きました。仕事を休んだのは、何回にもなります。
だから私にとって「入れ歯をなくす」は、単に物をひとつなくすことではありませんでした。
あの3週間が、また来る。このあと私は、仕事にも行かなきゃいけないのに。
しかも玄関先は、以前母が転んで、救急病院に行った場所でもあります。支えなしで外に立つ母の姿を見たとき、そのときの記憶まで一緒によみがえりました。
怒りの正体は「入れ歯をなくすかもしれない」ではなく、「またあの日々が来る」だったのだと思います。
仕事だったら、私はどう考えただろう
もしこれが仕事で、担当している方の出来事だったら、私はどう考えただろう。あとから、そう思いました。
「どうして入れ歯を外したんだろう」
「どうして一人で玄関まで行ったんだろう」
たぶん、まず理由を考えたと思います。
20年、ケアマネとして認知症のある方と関わってきました。行動だけを見て「困ったこと」と決めつけず、その人がなぜそうしたのかを考えることを、大切にしてきたつもりです。
でも今日、母を前にした私は違いました。理由を考えるより先に、言葉が出ました。
「またなくす!」
「転んだらどうするの!」
頭ではわかっているつもりでも、わかっていることと、その場で受け止められることは、別でした。
冷静になれば、わかる
母に筋道があったように、私にも筋道があった。それがあの玄関先で、ぶつかってしまいました。
あとになって冷静に考えれば、わかります。母は、「歯医者さんに行く」と聞いて、自分なりに準備をしただけでした。大事な入れ歯だから、ティッシュに包んで。出かけるから、玄関まで行って。
でも、そのときの私は、そこまで考えられませんでした。ポケットのティッシュを見て、玄関の外に立つ母を見て、思いっきり怒りました。
認知症の人の行動には、その人なりの意味がある。
冷静になれば、わかることもある。
でも、いつも冷静に考えられるわけじゃない。私は家族だから。



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